「怖くない」「痛くない」。この感想は、思いやりの評価ではなく動きの設計が伝わった証拠です。ボディメカニクスは介助者の腰を守るだけでなく、利用者の予測可能性と自力参加を引き出す“安心のデザイン”。本稿では、まず“怖さ・痛み”が生まれる理由を整理し、そのうえで一つの事例に5つのコツを埋め込んだ実践を示します。
目次
なぜ“怖さ・痛み”が生まれるのか
介助で利用者が「怖い」「痛い」と感じる多くの場面は、筋力不足そのものよりも、**段取り(準備と順序)と合図(予告・同期・実行)**の設計が崩れたときに起こります。体は動きの方向とタイミングがわかれば自力で“合わせる”ことができますが、見通しが立たないまま引っぱられると、反射的に体を固めたり、関節や皮膚に過剰な負担が集中したりします。
- 予測不能な加速・方向転換
合図があいまい、または無言のまま動作が始まると、利用者は“いつ・どこへ・どれくらい”動くか予測できません。防御反応(突っ張り・後傾・足のすくみ)が出て、介助者はさらに力で修正しがち――これが急な加速や方向転換を招き、恐怖を増幅します。逆に「予告→同期→実行」の3カウントでテンポを一定にすれば、“怖さ”は大きく減ります。
- ねじり/剪断(関節中間位の崩れ)
中間位から外れた状態で動かすと、関節包や筋に捻転ストレス、皮膚・皮下には剪断が生じます。脇を持ち上げる・皺のままずらす等が典型。中間位保持と**“持ち上げず滑らせる”**へ変えるだけで体感は一変します。
- 支持基底面の不安定(足場の設計不足)
足がそろったまま動き出すと重心の「通り道」が狭く、わずかな揺れも不安になります。足幅を広げ半歩前を指定して先に安定を作ると、揺れを足場で吸収できます。
まとめると、力を足す前に段取りを足すのが肝心。合図で見通しを作り、中間位に整え、足場を先に広げる――この順番設計で「怖さ・痛み」は大きく減ります。
事例:ベッド端座位→立位→車いす移乗(90°)で“5つのコツ”を適用
準備
- 車いすをベッドに**30〜45°**で寄せ、ブレーキ・フットサポート跳ね上げ・(可能なら)アームレスト上げ。
- 利用者の踵が床に接地する高さに調整。介助者はベッド側の足を半歩前、足幅は肩幅よりやや広く。
①「予告→同期→実行」の3カウント(声かけの骨格)
- 予告:「これから立って右に向き、車いすに座ります。ゆっくり行きます」
- 同期:「まず少し前に体を倒します。合図でお尻を前へスライドします」
- 実行:「せーのでお尻を前へ、すーっといきます」
→ 見通しが立つほど“怖くない”。
② 支持基底面を“先に”作る(揺れを足場で吸収)
- 介助者は半歩前+広めの足幅で骨盤近接。
- 利用者には「右足を半歩前」など具体位置を指示して安定を先に確保。
③ 持ち上げない・“滑らせる”(お尻は数センチ刻み)
- 前傾:「鼻がつま先の上」を合図に体を前へ。
- 接近:介助者は胸を張らず体幹やや前、骨盤近接。
- 動作:お尻を2〜3cmずつ前に滑らせて座面前縁へ→体が前に乗る→軽く浮く→小さく足踏みで右へ回旋→持ち上げず直線短距離で車いす方向へ。着座直前に再び前傾し、“すーっ”と下ろす。
→ 脇持ち上げ・強い引っぱりを回避、皮膚剪断も減少。
④ 関節の中間位+皮膚の保護(ねじらない・擦らない)
- 上肢:肩を外へ強くねじらず、やや内転・軽度屈曲の安定位置。
- 下肢:股・膝・足首は中間位、方向転換は小刻みに。
- 皮膚:衣服・シーツの皺を事前に整える。
- 声かけ:「肩は痛くない位置に置きます。膝は少し曲げます。擦らないように下ろします」
⑤ “行為”でなく“結果”で伝える(自力参加を引き出す言葉)
- NG:「持ち上げます」「前に引きます」
- OK:「お尻が前に2cm」「右足が半歩前に出ます」「座面の真ん中に“すーっ”と降ります」
→ “どうなるか”を示すと、利用者の主体的な力が出やすく、恐怖が減ります。
まとめ
「怖くない」「痛くない」は、やさしさの言い換えではなく、技術が伝わった結果です。3カウント・足場先行・“滑らせ”・中間位・結果ワード――この5点を一連の事例に埋め込んで標準化すれば、介助は軽く、関係はしなやかに。安心感は、毎回の手順で再現できます。